~小学生、中学生のお子さんがいる保護者で、次のような悩みはないでしょうか?
講演会などで聞く、「自主性にまかせる」方法では、子供は勉強しない!
「子供にヒントを与える」ような方法は、効果あるの?
このブログでは、長男・次男の経験談より、この質問にお答えします。
本記事を書いた人
医師、英検準1級。国際学会にて、英語で討論する機会あり。
小学生の英語勉強法を研究
長男が小学5年生のときに、中学英語の先取り学習を始める
長男は、中学1年生の時、中学3年生までの英語(つまり高校受験英語)まで終了している。
長男は、定期テスト、模試を、試験勉強を全くしないで、90-95点をキープしている。
インターネットでの子供への接し方の記事を読んだり、また講演会で子育ての方法などを聞くと、以下のようなコメントをよく聞きます。
「子供に、1から10まで教えてはダメ!」
「子供に自分で答えを出すようなヒントを与えて、考えさせるようにしよう!」
「いきなりは出来るようにはならない。ゆっくり見守りましょう!」
これらの教育方針は、子供が主体になる良い教育方法だと思います。
でも、私は自分自身が子育てをするようになってから、上記のような教育方針を実践しようとしましたが、うまくいきません。
なぜでしょうか?
今日は、そのことについてお話しますね。
良く聞く声掛けの言葉
「子供の成長を促す声掛けの言葉」って、ピンとこない保護者も多いと思います。
私の息子たち、サッカーをしているので、そのことを例にあげて説明したいと思います。
息子たちは、小学生の低学年からサッカーを始めました。
低学年といえば、パスをきれいに回してというようなサッカーではなく、いわゆるボールに選手が群がります。
このボールに群がっている様子が、団子のように見えるので、「団子サッカー」と言います。
この時に、子供は次のタイプに分けられます。
「団子に入っていって、どんどんボールを取りに行くことができる」
「団子の中には入るけれども、積極的にボールを奪わない子」
「団子の外にいて、見ているだけの消極的な子」
そして、保護者は自分の子供が「団子の外にいて、見ているだけの消極的な子」の場合、非常に歯がゆい思いをするときになります。
その時に以下のような言葉がけを、ついつい保護者は子供にしてしまいます。
「他の子は、積極的にボールを奪いにいっているのに、なぜあなたはボールを奪いに行かないの?」
「やる気がないなら、サッカーやめるよ」
でも、サッカースクールのコーチや、インターネットでの子供の指導方法では、そのような言葉がけは、行ってはいけないとされています。
まず、「なんで、積極的にボールを奪いに行かないのか?」を子供に聞いてあげないといけません。
例えば、子供は以下のように答えます。
「団子の中に入ると、怪我をしそうで怖い」
「団子の中に入るより、団子の外にいるほうが、ボールが回ってきたときにチャンスだと思った」
そして、次のような声かけがあることを教えてもらいました。
「団子の中に入ると、怪我をしそうで怖い」
⇒「怪我をすることはないから、少しだけ団子のなかに入ってみよう」
「団子の中に入るより、団子の外にいるほうが、ボールが回ってきたときにチャンスだと思った」
⇒「団子の中に入るとボールが奪えてチャンスになるから、入ってみよう」
つまり、「なぜ?」という問いかけをして、子供に答えを考えさせると、子供は「団子の中」に入っていくことができるそうです。
サッカーの講演会でも同じようなことを言っていますし、インターネットの記事でも同じようなことが書かれています。
私もこのような、言葉がけを子供に行いました。
しかし、全く効果がありませんでした。
なぜでしょうか?
その理由について説明しますね。
子供がどのレベルかを把握しよう!
まず、上記の「団子サッカー」を考えるときに必要なのは、その子供が「団子に入っていける能力があるのか?」ということです。
まず、先ほどの子供のタイプを、3段階のレベルに分けて説明しますね。
レベル3 団子に入っていって、どんどんボールを取りに行くことができる子
レベル2 団子の中には入るけれども、積極的にボールを奪わない子
レベル1 団子の外にいて、見ているだけの消極的な子
例えば、レベル3、レベル2の能力が隠されているのだけど、その能力が開放されていなく、「見かけ上レベル1に見える子」の場合、言葉がけでその能力を開放することができます。
しかし、そもそも「レベル1の能力しかない子」の場合には、どんなに言葉がけをしても、うまくいきません。
なぜなら、能力が備わっていないからです。
では、なぜサッカースクールのコーチや、インターネットの記事では、「言葉がけ」のみでうまくいくと言っているのでしょうか?
それには、言い方が悪いのですが、「からくり」があるのです。
サッカースクールで、団子の中に入っていくことができない生徒が100人いたとします。
そして、その100人の能力(ここでは潜在能力のことです)が次のような割合だったとします。
レベル3 10人
レベル2 50人
レベル1 40人
「言葉がけ」のみで、団子に入っていくことのできるレベル3 10人、レベル2 50人を合わせて、合計60人です。
しかし、レベル1の40人は「言葉がけ」のみでは、「団子に入っていくことができないまま」時間が経過していくことになります。
じゃあ、「言葉がけ」のみで、レベル1の子たちは、どうやったら団子の中に入っていくことができるようになるの?
答えは、簡単です。
いつもでたっても団子の中にはいっていくことができないです。
それじゃあ、困るじゃないか!!
保護者の皆さんは、そう思われるでしょう。
でも、サッカースクールにとっては問題ないのです。
なぜなら、サッカースクールは、レベル3、レベル2の子だけが、きっかけをつかめて能力を開放すれば良いからです。
つまり、レベル1の能力の子供は、言い方が悪いのですが、切り捨てられています。
そして、レベル1の子供が切り捨てられても、問題ないのです。
なぜかと言うと….
ずばり、自分の子供ではないからです!!!
自分の子供でないなら、わざわざ厳しい言葉がけをして、子供を必死にレベル2、レベル3にしなくても良いですよね。
そして、自分の子供でないなら、上手にならなくても、それほど気にしないですよね。
だから、サッカースクールでは「ヒントを与える言葉がけによる教え方」が成り立つのです。
しかし、親は我が子がレベル1の能力しかなかったとしても、諦められるでしょうか?
そんなことは、ないですよね。
なんとか、レベル3、レベル2にまで引き上げたいと思いますよね。
つまり、まとめるとサッカースクールの対象者は以下の通りです。
対象者 他人の子供
子供の能力 能力が備わっているけれども、開放できていない子供
一方、我が子のことで悩んでいる保護者は次の通りです。
対象者 自分の子供
子供の能力 能力が備わっていない子供
なぜ私がこのような結論に至ったかといいますと、少年団のサッカーのコーチをしていたこともあり、サッカースクールで行う声掛けを同じようにやってみたことがあるからです。
すると、「声掛けのみで出来る子供」と「声掛けでは上手に出来ない子供」がいることが分かりました。
その時に、「サッカースクールの声掛けは『元々能力のある子供』を対象にしているんだな!」と気づくことができました。
長男の塾での体験
さて、ここまでサッカーを例にして説明しました。
このことは、勉強にも当てはまります。
ここからは、長男の実体験を基に説明しますね。
私の長男は塾に通っており、塾の先生から、このようなことを言われたことがあります。
「〇〇君(長男のこと)は、自分でしっかり出来る子供なので、自分でチャレンジすれば良いんですよ。」
「多少テストで悪い点数をとっても、気にしてはいけません。」
「テストで悪い点数をとっても、その失敗から学ぶことができるので、親が見守ってあげることが大事です」
「そのため、親が干渉しすぎては、ダメです!」
どうでしょうか?
子供の教育の時に、良く聞くセリフですね。
ただし、このようなことを考える時には、各々の背景を考えないといけません。
長男は、公立中学校に通っています。
一方、塾の先生は、中高一貫の学校を卒業されています。
どうでしょうか?
まるで、背景が違いませんか?
公立中学校では、定期テストは内申点に関与します。
そして、内申点は高校受験の時に大切です。
中高一貫の学校では、高校受験はなく、大学受験しかないので、内申点が悪くても問題ありません。
つまり、中高一貫では勉強方法で失敗しても、いくらでもやり直しがきくのです。
しかも「失敗しても、その失敗から学ぶことができるので、親が見守ってあげることが大事です」と塾の先生が言っている割には、その塾の先生の子供は、中高一貫の学校を目指して、別の塾に通っています。
どうでしょうか?
塾の先生の「多少失敗しても、そこから学べば良い」という考え方は、他人の子供だからできるアドバイスです。
本当に「失敗から学ぶ」という方法をとるのであれば、全く勉強に関与せず公立中学校に通わせて、その上で本人任せにするべきだと思います。
しかし、塾の先生も我が子のことになると失敗が怖いようで、そのようなアドバイスはせず、中高一貫を目指しているというのが現状です。
確かに塾の先生は、「多少失敗しても、そこから学べば良い」と自分の子供に指導するかもしれません。
しかし、それは自分の子供を中高一貫に通わせて、「中高一貫校という保険」をかけた上での発言です。
そりゃ、長男が中高一貫に通っていたら、私も長男に「失敗から学ぶ」という指導をすることができます。
でも、長男は公立中学に通っているので、内申点のことを考えると、「失敗から学ぶ」なんて方法は、怖くてできません。
ここまではサッカースクールと、塾の先生を例に出して説明しました。
この2つに共通することは、「子供の自主性を大切にする教育方法」とは、「能力があるが、それが発揮されていない子供」「自分以外の子供」を対象にしているということです。
問題を先送りにする発言
次に、説明するのは、「子供の自主性を大切にする教育方法」は、「問題を先送りにするような解決方法」が多いということです。
さて、先ほどの団子サッカーに話を戻します。
あるサッカー動画の配信しているYou tuberの方が、団子サッカーの輪に入っていけない子供に対して、次のようなことを言われていました。
「実は団子に入っていけない子供のなかには、団子の外にいる方が、ボールがきたときにチャンスになると分かっている子供がいる」
「実は、私も子供の時にそうだったけど、中学生になったら、きちんとボールを奪いにいけるようになった」
「なので、団子の中に入っていけない子は、実は大人の考えを持っている賢い子なのかもしれない」
どうでしょうか?
子供が積極的に団子に入っていかない親にしては、「救いの言葉」のように聞こえますね。
しかし、私はその発言を聞いたときに、こう思いました。
「じゃあ中学生になってもボールを奪わない子は、高校生なったらボールを奪えるようになるから心配するなって言うの?」
「高校生になってもボールを奪えない子は、大学生になったらボールを奪えるようになるから、心配するなっていうの?」
つまり、分かりやすく言うと、こういうことです。
「それって、問題を先送りにしている無責任な発言なんじゃないの?」
私は、サッカーの指導者もした経験から申しますと、小学校低学年の時にボールに積極的でない子供が、高学年のときに積極的になることは決してありません。
さらに、高学年の時にボールに積極的でない子は、中学生で積極的になることはありません。
つまり、小学生低学年でこの問題を解決できないと、永遠に解決することはできません。
そして、低学年でボールに積極的でない子供の場合には、優しい言葉がけだけで、ボールに積極的になることは決してないのです。
我が家の場合、長男、次男に、結構「厳しい声掛け」をして、ようやくボールを積極的に奪えるようになりました。
「厳しい言葉がけ」と言っても、叱るような声掛けではありません。
練習が終わるたびに「団子の中に入って行かないと、活躍できないよ」ということを、ずっと言っていました。
そして、サッカーの自主練を子供たちとするときに、わざと激しくぶつかって、団子の中に入っていく、恐怖心を取り除きました。
そして、半年ぐらいかけて、ようやく団子の中に入って行けるようになりました。
決して、サッカースクールの「きっかけを与える声掛け」では、団子の中に入っていけるようになりませんでした。
問題は、今解決しないといけない
私の好きなサッカー漫画「アオアシ」という漫画があります。
主人公(高校生)は、Jリーグのユースチーム(高校生のチーム)に所属しており、その物語です。
こんな話の回がありました。
ユースチームの中で、上手な選手は、トップチーム(つまりプロのチーム)に参加することができ、主人公はそのチャンスをつかみました。
そして、主人公はプロの練習に参加した初日、レベルが高すぎて、全くついていけません。
そして、トップチームのベテラン選手が、このようなことを言います。
「ユースチームの選手は、1日目で必ずレベルの違いに戸惑い、壁にぶつかる」
「最初から通用する奴なんかいない」
「要は2日目からが、問題なのよ」
「どうにかしようとする奴は、2日目に必ずどうしたら良いか聞いてくる」
「ベテランだろうが、日本代表選手だろうが、構わず聞いてくる」
そして、そのベテラン選手は、最後にこう言います。
「今すぐできないことが我慢できないって奴だけが、そうしてくる」
私は、非常にこの言葉が好きです。
現在できないことは、自然に未来にできるようになりません。
つまり、出来ない時点でどうにかしようとしないと、永久的に出来るようにはならない可能性が高いのです。
そのため、「問題を先送りにするアドバイス」は、確かに心の支えになりますが、私は基本的には参考程度にしかしていません。
最後に
さて、本日の記事はどうだったでしょうか?
講演会やインターネットでの、「子供の成長を促す声掛け」を上手に実践できない理由がお分かりになったでしょうか?
子供にきつく接している保護者の皆さん、「なんで自分は上手く声掛けができないのだろう?」と悩む必要はありません。
なぜなら、「自分の子供」の教育に力が入るのは、自然なことだからです。
だからと言って、子供にパワハラのような指導をしていいと言っている訳ではありません。
「魔法のような声掛け」は存在しないと割り切って、子供に繰り返し言い続けることが必要なのです。